京都たち吉は、日本の京都市にある陶磁器の製造販売会社です。

たち吉(tachikichi) 日本のブランド、産地

たち吉(tachikichi)とは

名称:たち吉(tachikichi)
国、産地:日本 京都市
何の会社:和洋陶磁器卸小売
創業年:1752年(宝暦2年)
現在:「有」2022年現在 事業譲渡情報

たち吉について

1752年 江戸時代前期創業。
京焼だけでなく全国各地の陶磁器を仕入・販売しており、2021年現在、全国の百貨店などに30の店舗がある。
このような一般消費者向けの販売の他に、企業向けにノベルティ・販促品や業務用食器の企画・販売なども行なっている。

橘吉 変形皿

たち吉 織部絵変鉢 φ14.3㎝

たち吉 染付鉢 φ15㎝

たち吉の歴史

たち吉の前身、「橘屋吉兵衛」が京都の中心地・四条富小路に誕生したのは、江戸時代後期

周りには芝居小屋や茶屋が立ち並び、一昔前に隆盛を極めた元禄文化の栄華の残り香はまだまだ消えそうにもありませんでした。

江戸時代という、戦のない平穏な時代が育んだもの。それは「日々の暮らしを楽しむ」という慣習でした。

こと、茶の湯の伝統がしっかり息づく京の人々は、日常の器に良い品をつかう喜びを知っていました。

江戸時代が終焉して、明治という新しい時代を迎えても、そののれんは変わらず京の地ではためいていました。

明治27(1894)年、8代目当主 岡田徳之助が屋号を「たち吉」と改称。

大正、昭和と幾度かの戦火をくぐりながらもたち吉は同じ場所に建ち続け、太平洋戦争中の一時休業を経て、戦後まもなく営業再開。

そのわずか4年後の昭和25(1950)年、思わぬ災難がたち吉を襲います。

200年間も大切に受け継いできた店が、焼失したのでした。

ほどなくして、たち吉の前を通りかかった人々が目にしたのは、ひと言「再起」と書かれた大きな垂れ幕。

そして揺れる文字の下で行われていたのは、なんと、焼け残った商品の大安売りでした。

ござを敷いて品物を並べただけの、夜店の茶わん市のような光景。

しかし、これが図らずも高級なイメージが強かった、たち吉の商品を身近に感じさせる絶好の機会となりました。

たち吉の再起大安売りは大好評のうちに1か月ほども続き、火事からわずか半年あまりで店を再建するまでに。

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そして、昭和26(1951)年2月に開店したこの新店こそ、忠次郎の類いまれな発想力と工夫が詰まった「新生たち吉」そのものでした。

「陳列演出」とともに、新たに打ち出したのが「創作陶器」という聞き馴染みのない肩書でした。

この新しい「創作陶器」という肩書には、何より、使う人の心に寄り添い、暮らしの楽しさを贈る店でありたいという想いが込められていました。

たち吉では、小売商の方から窯元に注文して希望の商品を作らせて売るという販売方法をとります。

そんな商売をしているところはどこにもありませんでした。

こうしてできた初期の創作陶器の代表作には、急須と湯のみを一揃いにした「お茶の間セット」や、木の葉形の皿が大小組み合わさった「吹き寄せ皿」などがあります。

また、お客様の要望に合わせ、進物用のガラス食器、アメリカ進駐軍向けの洋陶器、安くて丈夫な美濃焼など、これまで取り扱っていなかった商品も置き始め、画期的な売り場の様子は注目を集めることになります。

陶器の外商先といえば料理屋が常だった時代に、旅館や銀行、企業にいち早く目を付けたのも卓抜した着想でした。

ギフト商品には小さな造花の花束を同封する、陶器には糸底を磨くサンドペーパーをつける、土瓶には予備のツルを添える―。

コストを度外視したこれら他店にない「心くばり」がお客様の心を捉え、多くの方々から器の定番としてご愛用いただくまでになりました。

戦後の混乱も収まり、高度経済成長に向けて世の中が活気づいてきた昭和30(1955)年、新聞に小さな囲み広告が掲載されました。

「毎月わずか100円の会費でたち吉の陶器が届きます」。それは陶器小売業界初の頒布会の案内でした。

京都の老舗の商品が安価で手に入るとあって、たちまち申し込みが殺到。特に若い女性を中心に会員が急増し、1年後には京阪神だけで会員数が2~3万人、最盛期の昭和35~37年頃には全国で30万人もの会員数を誇る大ヒットを記録しました。

頒布会に先立つ2,3年前、たち吉は京都・河原町に初めての支店を出店します。

清水焼の土産物向き商品が所せましと並べられた店内は観光客や修学旅行生で毎晩賑わい、閉店が22時、23時になることも日常茶飯事でした。

また、それからしばらくして、大阪髙島屋、東京髙島屋の特選コーナーでの販売も開始。

たち吉が成長した第一の要因が頒布会なら、第二の要因はこのデパートへのコーナー出店といえます。

利益を独り占めにしない、たち吉の名は、結果的に京都の老舗でありながら全国に知られる存在になりました。

そして、今日にいたるまで、「創作陶器 たち吉」の器にかける想いは、ずっと変わることなく、人へ、暮らしへ寄り添い続けています。

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沿革

1752年(宝暦2年) 橘屋吉兵衛(たちばなや きちべえ)の屋号で京都四条に店を構えて創業。
明治中期 – 屋号を「橘屋吉兵衛」から「たち吉」へ改称。

1957年(昭和32年) 東京・銀座にて、東京店の開店/現在は閉店している。
昭和30年代には、定期的に購入する会員が全国に30万人もいた。

1976年(昭和51年) イタリアに出店。その後、海外には計16店舗を出店する。

1991年(平成3年) バブル崩壊。これ以降、高級な器が売れなくなる。

2011年 本店を閉店。(京都市の繁華街である四条通に面した店舗)

事業譲渡情報

2015年(平成27年) ニューホライズンキャピタルによる支援が決まる。

投資ファンドであるニューホライズンキャピタルが設立した株式会社たち吉(新社)へ事業を譲渡して事業停止。同時に旧社の商号を株式会社四条富小路へ変更。
263年間続いた同族経営に終止符が打たれた。

2017年(平成29年) 四条富小路の法人格消滅。

新:たち吉
2015年(平成27年) ニューホライズンキャピタルが株式会社たち吉(旧社)の事業を譲受する新会社として、株式会社たち吉(新社)を設立。
同時に旧社から事業を譲受。

2016年(平成28年) 株式会社たち吉ホールディングスを吸収合併。

2019年(平成31年) 株式会社萬皿屋を吸収合併。

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