日本では業務用として一流ホテルやレストランでも使用されています。

ミカサ(MIKASA) 日本のブランド、産地

ミカサ(MIKASA)とは

名称:ミカサ(MIKASA)
国、産地:日本
何の会社:陶器ブランド(食器)
創業年:1957年
現在:「無」2022年現在(食器は現在も販売しています。)

MIKASAについて

1957年当時アメリカで好調だった日本製の高品質ディナーウェアを世界の主要国に広めるためにブランド化されました。


当時のアメリカのカジュアル志向にマッチしたおしゃれで実用的なランナップは瞬く間にヒット商品となり、ヨーロッパやオセアニアなどへと販路が広がっていきました。


洋食器中心のミカサの食器は、アメリカでは広く家庭でも知られていますが、日本では業務用としてのシェアーが大半を占め、一流ホテルやレストランでも使用され、その優れた機能性は定評があります。

シンプルでしっかりとした仕上がりのディナーウェアーコレクション。
気取らないテイストで日々の暮らしにフィットするブランドです。

金線の幅もしっかりあって美しい食器のセットです。

アメリカンコンマーシャル(ミカサコーポレイション)の始まり

戦後民間貿易再開になると、米国Los Angelesの貿易会社American Commercial Inc.社長George T.ArataniとShig. Kariya両氏が当地から洋陶器を買い付け、米国で販売しようと、水野栄次氏(貿易会社UCGC(JAPAN)社長)を頼って来名された時から始まる。

昭和24年(1949) 日本からの洋陶器の買い付けと米国国内の販売で、ビジネスが活発になり、輸出業務も増る。

昭和25年(1950) 合資会社アメリカンコンマーシャルを設立

昭和26年(1951) 株式会社アメリカンコンマーシャルが設立される。(American Commercial Inc. Losの日本代理店)

昭和30年(1955) 愛知県名古屋市東区新出来町に木造2階建ての事務所と倉庫を新築、移転。

当時の取引メーカーは、鳴海製陶、名古屋製陶所、比良陶器、瀬栄陶器、名古屋商会(現桃山興産)、山口陶器、美濃輸出、大和陶器、マルト製陶、角庄等の洋陶器メーカーで、すべて白磁器に上絵付けされたディナーセットで、なかでも比良陶器のディナーセットは、価額も安かったので注文も多く大量に輸出された。

昭和32年(1957) George T. Aratani社長は「MIKASA」ブランドを誕生させる。

そして、ACI-USA の取り扱い高品質の高級ディナーウェアに「MIKASA」ブランドを付け輸出されることとなった。  

昭和37年(1962) MIKASAと宮尾陶器との共同企画による硬質陶器ディナーウェアの生産も軌道に乗り、商品名「CERASTONE」、「TERASTONE」という62ピース構成の新しい硬質陶器のディナーウェアが完成し、米国・カナダ市場にデビュー

8人揃のセットを買えば日常食器が全部揃う、とアメリカの家庭で好評となり、そのうえ電子レンジ、食器洗い器にも使用でき、さらに値段が小売価額1セット30ドルという安価であったことが魅力的で、当時の米国中流家庭のカジュアル志向にマッチした食器として爆発的に売れた。

昭和39年(1964) 愛知県名古屋市東区橦木町に鉄筋2階建てビルの社屋と倉庫を新築、移転する。

昭和41年(1966) 社屋を1階増築し3階建てになる。[㈱アメリカンコンマーシャル(㈱ミカサコーポレイション)社屋]

この頃、カナダI.D.T.社同様、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの商社が、「MIKASA」の傘下に入り、ACI-NAGOYAと代理店契約を結び、「MIKASA」ブランド商品が夫々の国にも輸出され、市場で販売される事になった。

昭和42年(1967) 宮尾陶器の売上高は、輸出当初に比べ約5倍にも伸び、大手ディナーウェアメーカーの地位を築いた。

昭和43年(1968) 米国J&H社から景品用磁器製ディナーウェア OPEN STOCKの大量注文が入った。

何十軒かのメーカーに手分けして造ってもらわないと対処出来ない程の大量注文であった。

このJ&Hからの大量景品注文は、昭和46年(1971)8月のニクソンショックまでの約3年近く続き、当時一大J&Hブームをつくり、中部陶磁器産業界にも活気をもたらした。

昭和46年8月15日に突如としてドル防衛のため、ニクソン大統領が大幅な輸入制限策を打ち出し、輸入品に課徴金10%を課す。(ニクソンショック)

昭和48年(1973) 両社合弁の国内販売会社 株式会社ミカサを設立。

MIKASA-USAと同様に国内のデパートを対象に商品の販売方針を立て、宮尾陶器製品のミカサブランド商品を宣伝販売することになった。

平成4年(1992) ㈱ミカサコーポレイションはUSA Mikasa Inc.の完全な子会社になる。

昭和55年(1980)頃から、USA Mikasa Inc.の大手取引メーカーの鳴海製陶はインドネシアに、

宮尾陶器は昭和63年(1988)にマレーシアに生産拠点を移し、現地で生産しアメリカ、カナダ、オーストラリア等海外に直接商品を輸出するようになった。

USA Mikasa Inc.本社の指示により、
平成15年(2003)12月末日をもって解散閉鎖される事となり、昭和26年(1951)から53年間続けてきた貿易商社の幕を降ろすことになった。

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